2013年9月20日金曜日

愛が登場するフランスの諺

今月、こちらで「動物が登場するフランスの諺」を、そしてこちらでは「生物が登場するフランスの諺」をご紹介しました。今日は「愛が登場するフランスの諺」について書いてみたいと思います。

 
Heureux au jeu, malheureux en amour.
「博打で幸運、恋愛で不運。」
 
博打で幸運を使うと、恋愛の運はなくなるということだそうです。博打と恋愛、両方の運は一度に手に入るものではないという意味もあるそうです。
 
私が博打で思い浮かべるのは宝くじくらいなものです。フランスにも、日本のように様々なスクラッチくじがあります。私たちもたまに、運試しに一枚1ユーロか2ユーロくらいのものを買い、カフェで擦ってはがっかりしたものです。
 
ユーロミリオンズという、一攫千金を狙う欧州くじもあります。1から50までの数字を5つ、1から9までの数字を2つ自分で選んでマークシートに記入するというもので、当選者が居ないと繰越となり、獲得賞金がどんどんふくらんで行きます。フランス宝くじ公社の発表によると、今年の7月に2200万ユーロ(約28億6千万円)を獲得したフランス人男性が居るそうですよ。
 
ちなみに、フランスでは宝くじを買うのに年齢制限があり、16歳未満は買うことも換金することもできません。日本では年齢に関係なく購入できるように記憶しています。フランスの方に年齢制限があるのがちょっと意外な感じです。
 
 
Mains froides, coeur chaud.
「手が冷たいと心は温かい。」
 
文字通り、手が冷たい人は愛情に溢れ、心が温かいという意味です。日本でも言いますね。人は見かけによらないという意味も含んでいるようです。
 
フランス人によく、私の手や頬はとても冷たいと言われたものです。それもそのはず、欧米人と日本人の平熱は違うのです。フランス人の平熱は37度だそうなので驚きます。
 
 
Qui aime bien châtie bien.
「十分に愛しているのであれば、十分に厳しく。」
 
愛する子供や若者たちを立派に成長させようとするのであれば、厳しい経験を積ませるべきであるという意味だそうです。日本で言う「かわいい子には旅をさせよ」ですね。
 
これで思うのは、フランスの学校の先生のことです。フィリップが子供の頃には、先生は絶対的な存在で、悪いことをすると先生に耳をひっぱられたり、立てた定規の上に膝をついて座らせられたり、厳しく罰せられたそうです。今では先生が生徒に手を上げることは一切禁じられおり、このようなことはありません。
 
 
En amour trop n'est même pas assez.
「どんなにたくさん愛しても、愛しすぎということはない。」
 
愛情表現の豊かなフランスらしい諺だと思いませんか?人はどんなに愛されても十分な気がしない、という意味も含まれているようです。これは、ボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」の中で、フィガロがスザンナに言うフレーズだそうです。
 
フランスでは、日常会話でこの"trop"(あまりに~過ぎる)という副詞がよく登場しました。フィリップに日本語で"trop"を教えたところ、この夏八戸で、「アツスギル、アツスギル」とよく言っていましたよ。
 
 
Qui m'aime, aime mon chien.
「私を愛する人は、私の犬をも愛してくれる。」
 
人を愛すれば、その人の持つなにもかもを愛するという意味だそうです。日本の諺「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と対をなすとも考えることができそうです。この諺で、例に挙がった「私のもの」がなぜ犬なのだろうという素朴な疑問を持ち、フランスのサイトをいろいろ検索しました。残念ながらまだわからないのですが、見ていて「私の犬が私を愛してくれない」「あなたの犬に愛されるために」などというフォーラムやHPが多いのに驚きました。愛する人が自分の犬を愛してくれても、その犬に愛されないのではちょっと寂しいですね。
 
愛に関する諺で私が好きなのは「愛してその悪を知り、憎みてその善を知る。」です。愛憎にかかわらず冷静に物事を判断するという意味ですね。簡単そうでなかなかできないことではないかと思います。
 
昨日二階のベランダから見た中秋の名月を思い出し、うっとりとする朝です。
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