2013年9月16日月曜日

小豆の思い出

私は昔から、小豆が大好きです。ノルマンディで暮らし始めた頃は、食べられる機会がほとんどなく、小豆が夢に出てくるほど恋しかったです。帰省の折には、成田からスーツケースを引きずって好きな甘味処へ直行し、善哉を食べ、日本へ帰って来た喜びをほっと噛み締めたものです。

また、 たまにパリへ出ると、よく源吉兆庵さんのティ・サロンへと寄り道をしました。パリの喧騒を逃れ、穏やかな和の空間で和菓子と抹茶を楽しみました。お土産にドラ焼きを買い込み、ノルマンディで大事に食べたものです。マドレーヌ寺院のすぐそばで、フォションと肩を並べてがんばっていた源吉兆庵さんでしたが、残念なことにその後、パリから撤退してしまいました。

1980年オープン以来、今でもパリでがんばっているのがとらやさんです。こちらもマドレーヌ寺院からさほど遠くなく、コンコルド駅のそばです。フランス人にも人気があり、ふらりと寄ると満員で、すぐには入れないことが多かったです。源吉兆庵さん撤退後には、とらやさんでドラ焼きを買うようになりました。


ドラ焼きには(にも)ちょっとうるさいフィリップが、「ううむ、やはりあちらの方が美味しかったな。」と無念そうにため息をつきながらも、とらやさんの「夜半の月」を2つも3つも頬張っていたのを思い出します。

ノルマンディ時代、母がよく、いろいろなものを郵便小包で送ってくれました。そこには和菓子も入っており、日本人の心の友たちとのお茶会で楽しんだものです。時々、上質の小豆も送ってくれたので、とても有難かったです。ノルマンディのBIOの店で"Azuki"と袋に書かれたものを買うことができたのですが、どうしても芯が残ってやわらかく煮えず、味も違う気がしました。

小豆をことことと煮て、そのままお汁粉で食べることが多かったのですが、気が向くと、自己流で和菓子もどきを作って楽しんでいました。今見ると笑ってしまうようなものばかりですが、恥を忍んでいくつかご紹介したいと思います。

「ドラ焼きを夢見る小豆サンド」
本当はドラ焼きになるはずだったのですが、うまく行きませんでした。迷惑を顧みず、心の友たちにも食べてもらいました。家庭平和を願うフィリップは、美味しいと言って残さず食べましたよ。

 
「自己主張の欠ける栗菓子」
やけどしながら漉し餡を作りました。小豆がふつふつとはね、台所が物凄いことになりました。手間隙がかかったわりに、主張がなく、いまひとつぱっとしない代物でした。

 


「もっさりとした栗蒸羊羹」
これもまた、かなり時間がかかりました。レシピは一応見るのですが、自分の都合の良いように、勝手に変えてしまうので、こういう結果になります。毎回反省するのですが、適当な性格はなかなか直りません。


「堪忍小豆」
杏仁豆腐を作り、その上に煮た小豆をのせただけです。こういうシンプルなものの方が、いくらかマシで、許してもらえそうです。


「賞味期限切れですか」
形を整えた漉し餡に抹茶をまぶしてみました。出来立ては結構綺麗だったのですが、心の友のところに着く頃には抹茶が餡に染みこんで、不気味な色になっていました。まるでカビが生えたように見えました。ちょうど居合わせた、和菓子は初めてというフランス人にも食べさせてしまいました。礼儀正しく、美味しいと言ってくれましたが、もう和菓子は懲り懲りなどという事になっていないことを願うばかりです。


「迷惑な抹茶サンド」
あずきと果物を抹茶のパンケーキで挟んでみました。味はまぁまぁでしたが、とても食べにくかったです。なにもこんな風に挟まなくても・・・という感じです。


まだまだありますが、切りがないのでこの辺でおしまいにします。美味しい和菓子をいつでも買える今となっては、変なものを作っていたものだと、我ながら呆れてしまいます。でも、手に入らない状況であったからこそ、自分でいろいろと工夫して作る楽しみを知ることができた気がしています。煮えた小豆に注ぎ込む黒砂糖のように、ちょっと甘やかな思い出です。
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