2022年10月8日土曜日

アストラントが鳴り札幌医大へ飛んだ私はゲイシャ〜2007年05月28日のフランス日記より

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今日ご紹介するのは、アストラントの思い出を綴ったフランス日記です。ここに登場するRは、いささか不器用ながらも心優しくて大好きな友達でした。仕事を離れてからも、たまに連絡を取り合っていましたが、残念ながら近年、突然亡くなってしまいました。笑い話だったRとの思い出ですが、今では思い出すと泣き笑いになってしまいます。


すす「朝4時半から夜寝るまで、すすはずっとパパを追っかけてストーカーしてるのにゃん!時々しつこくなるパパだけど、大好きだからガマンするにゃん!」

20070528

先週無事Sénic売却、めでたく新車のVolvoが手に入った!この週末は気分良くかっ飛ばして少し遠出とでもいきたいところではあるが、フィが水曜日から一週間のアストラント期間にあり、そうもいかず。 


アストラントとは直訳をすると「強制、拘束」となるが、彼が何か悪いことをしたわけではないのでご心配なく。いわば「緊急事態対応係」のようなものである。職場から携帯電話を渡され、夜中であろうと、休日、週末であろうと、何か問題が発生した際に職場の誰かから連絡が入ることになっており、彼はそれに応対して必要部署へ連絡、最悪の場合にはすぐに職場へ駆けつけるよう義務付けられているのだ。ゆえに遠出はできない。 


その電話はもう3度もピロピロと鳴り、そのたびに彼はいつもは見せない真剣な顔つきになり、あちこちへ電話連絡をし、確認や指示などに忙しかった。 


その様子を横目で見ながら、自分がこのアストラントを持たされていた頃のことを懐かしく思い出した。日本のフランス企業で働いていた約4年間、常に携帯電話を首からぶら下げ、私は「年中無休のアストラント」を務めていたものだ。 


フィのアストラントとの大きな違いは、私の携帯が鳴る理由が「職場」ではなく「職場外」にあることだった。右も左もわからず、言葉も通じない日本という国へ来た60名以上のフランス人エンジニアとその家族たち。もちろん異国であろうとおとなしくしている人種ではないから、あちこちへ出かけ、そしてまたそこではいろいろなことが起きるのであった。 


「高速道路の料金所に居るんだけど、チケットが見つからなくて出られない。」「新宿駅に財布を置き忘れた。」「ガードレールに車をぶつけた。」など例を挙げればきりがないが、中でも特に思い出に残っているのが、北海道へ遊びに行った当時20代前半のRからの電話。 


「あのさ、今病院に居るんだけど 

「は?どこの?」 

「札幌の。」 

「ど、どうしたの?」 

「自転車で走っていてこけた。目の上を切る、腕は曲がるでさ、結構深刻らしいけどよくわからない。医者に代わるから聞いてみてくれる?」 


ドクターによると、それは腕から肘にかけてのやっかいな複雑骨折で、緊急手術を要するとのことだった。本人と職場の上司ミシェルに説明・確認の後ドクターに「どうぞよろしくお願いします。」と伝えたが、「手術後数日の入院が必要となるし、英語もままならないので誰か通訳に来てもらえないだろうか。」と言われ、私が行くことになった。 


翌日札幌医大に着くと、ロビーで待っていたRが、迷子になってやっと親に会えた子供のような顔をしてひしっと抱きついて来た。そして「ごめんね、マミィ。こんなところまで来させてさ。」と泣きそうな顔をして言った。 

「いいよ、仕方ないよ。それよりどうなの?痛む?」と手術後ギブスで固定された腕を見て訊くと、Rは顔をくしゃくしゃにして「ダイジョブ、ダイジョブ」と日本語で応えた。 


さっそくドクターに会いに行き説明を聞いた後、一旦Rと別れ、病院前から会社に連絡を入れてミシェルに状況を報告。引き続き保険会社に電話。話のわかる担当者に当たるまでに何度もかけ直し、長々と同じ説明をしなければならず、随分といらいらとさせられた。 


それからRの病室へ。それは6人部屋で、他の患者さんたちはもちろん日本人だから、皆さんにきちんとご挨拶をしなくては。看護婦さんやドクターとの会話が成立せず、何かと騒がしいこともあり、ご迷惑をかけただろうという申し訳ない気持ちがあった。 


病室へ入るとRが待ち構えており、ベットから下りて私の横に立ち、皆に向かって胸をはって言った。 

「コレハゲイシャノマミィサンデス。」 

病室内は一瞬し~んとして、皆が私に注目した。 

「ちょっと、R。それを言うならゲイシャじゃなくてカイシャだってば。」 

「ア、 スミマセン、カイシャノマミィサンデス。」と真っ赤になって言い直したものの、時すでに遅し。ボケと突っ込みの漫才コンビの様な私たちは爆笑の渦の中にあった。 


その後保険会社との交渉などいろいろあって、この芸者出張は23日に及んだように覚えているが、不思議と大変だったことはけろりと忘れている。思い出すのはRの真っ赤になった顔ばかりで、今も一人笑い出さずにはいられない。


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