桧木内川堤(ひのきないがわつつみ)の2㎞に及ぶ染井吉野のトンネルはあまりにも有名ですが、当日はこんな風にひっそりと寂しくて・・・。
フィリップは、一週間後にはさぞや見事だろうにとため息をついていました。それでも気を取り直して、二人で武家屋敷と枝垂桜の風情を楽しんで来ましたよ。今日は、その写真をご紹介させて頂きますね。
二人でぐるりと歩いた後、人力車でもう一度回ることにしました。なんと、引き手が女性でした!図体の大きな私たちを引っ張って頂くのはなんだか申し訳ない様でしたが、とても軽快に、秋田弁でいろいろ解説してくださったので興味深かったです。
引き手さんの解説によると、
○黒板塀についているのは武者窓と呼ばれるのぞき窓で、格式のある造りの屋敷の象徴だそうです。当時は敵を警戒して門扉を閉ざしたままで、表の様子を伺うにはここから覗いたのですね。また、武家の妻は外には出ずに、この窓から夫を見送ったそうです。
○昔は、武士は外へと門をくぐる際、頭を後ろに引き、足から出るようにしていたそうです。首斬りを意識して、縁起が悪いので首が先に出ないようにしていたというわけです。また、門の前に見える穴の開いた石は馬を括り付けるためのもの、手前の大きな石は馬に乗るための踏み台だったそうです。当時の日本人がいかに背が低かったかがわかりますね。
○こちらの岩橋家のように、内玄関の庇についている波模様の飾りは、火事を避けるためのお呪いなんですって。
○岩橋家で圧倒された推定樹齢300年余りの柏の大木。柏の葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちないので、代が途切れない縁起物とされ、そこから端午の節句の柏餅を柏の葉で包むようになったのだそうです。
○こちらの2軒の武家屋敷をつなぐ黒板塀は、よく見ると微妙に高さが違います。身分の違いが塀の高さに表れているそうです。ちなみに、武家屋敷群の南側は町人や商人の住む外町(とまち)ですが、そちらでは家よりも高い木を植えることは禁じられていたそうです。
とても楽しい人力車でのひとときでした。
その後、そばきり長助さんでおなかを満たして外へ出ると、またもや冷たい雨が降り出しており、慌てて車に向かいました。駅付近に停めず正解でした。
その晩のお宿の事などは続編にて。どうぞまたお付き合いくださいね。お天気はやっと回復したようです。今日あたり、武家屋敷の枝垂桜はさぞかし華やかであろうと想像する、水曜日の朝であります。
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